長崎原爆の日

sakuraniikari2006-08-09


 61年前の今日2発目の原子爆弾は、11時2分投下され多くの罪なき市民は殺された。長崎工業学校の生徒も多数犠牲者が出、海軍に志願し難を免れた同級生が、亡くなった友の写真を集め霊を慰めようと奔走しているが、友の家も壊滅したのが多く、残っている写真が少ないため、非常にご苦労されている。まだあどけない少年たちの顔写真を、一生かけて一枚でも多く集めたいと、頑張っている人のことが報じられていた。
 また当時の女学生のおもいでとして

    砲煙は谷間をとざし我ら今  突撃令を草陰に待つ
 
 これは学校から戦地の兵隊さんに宛てて慰問文を送った、その返信のはがきに書かれていた短歌である。いらい、ほのかな初恋にも似た胸のときめきで文通が続く中、まだ戦争は終わらないが長崎に復員するとの便りが届いた。それを最後に音信は途絶えた。そして長崎に原爆が投下された。終戦玉音放送が流れたのはその6日後だった。
 戦争とその後の激動の時代を生き抜いてきた私は、このような報を見聞きするととても辛くなる。