*”撃ちてし止まむ”

 戦時中戦意高揚のため作られた黒沢監督の映画「一番美しく」を見た。

 日本軍劣勢となった昭和19年4月、平塚の軍需工場の朝礼で、「男子工員は2倍、女子工員は1,5倍の増産をするように頑張ってください」と告げられる。

 女子工員はいわゆる女子挺身隊で、女学生や地方山村から、故郷の土を身に抱いて集まった銃後の戦士だ。人一倍「滅私奉公」のリーダー渡辺隊員の指揮で、工場に行く時は鼓笛で「見よ東海の空明けて」或るいは軍歌を演奏しながら、隊伍を組んで行進する。

 男子工員より低い目標の隊員達はそれが不満で、増産に繋がらない。原因を知ったリーダーの渡辺隊員は、工場長に目標を男子と同じにしてくださいと申し込み、以後生産は日に日に伸びる。

 しかし、連日の激務に体調を崩す者も出て、故郷での養生を命じられる隊員も出て生産が落ちる。新たな不調者は帰国を命じられるのを恥と思い、検温の結果を上司に報告しないでとリーダーに頼み込む。張り詰めた気持ちをやわらげようと、リーダーは休み時間にバレーボールをするようにし、緊張した勤務を離れ、和やかな時間を過ごす。

 「撃ちてし止まむ」の標語のもと懸命に増産に励む。そんな中も「海ゆかば」の曲にのり、マキン、タラワ、クェゼリンの玉砕の報がある。或る日の作業中、製造していたレンズが未完成のまま納められ、大騒ぎになる。責任を感じたリーダーは、上司が止めるのも聞かず一人作業を続ける。冷える工場でレンズを照準器で検査、夜明け前完了し事務所の前を通ると、帰宅しないで待っていた工場長たち二人も、暖かく迎えてくれた。鬼軍装のようなリーダーの渡辺隊員もほんとうは優しい後輩想いのおねえさんである。
 あの当時、国民はお国のためと滅私奉公を余儀なくされていた。私の学校の先輩も飛行場建設に動員され、半年も帰校しなかったのを思い出された。映画のように一糸乱れぬ行動で、とまではといかなくても少年なりに頑張ったと思いたい。国のため命じられるまま、勝利の日までと純粋に尽くし、はては解放直前、空爆で散った光工廠の男女動員学徒もいる。なのに、なぜか懐かしさを感じて鑑賞したのはなぜだろうか?
 映画が撮影されたのは現在の日本光学で当時は兵器の望遠鏡などに使われるレンズを作っていた。挺身隊は研磨機で精密なレンズを磨くことに青春をかたむけ「粉骨砕身」していた。見覚えのある俳優に、志村喬、菅井一郎、美しい入江たか子が出ていた。リーダー役の矢口陽子は、戦後監督と結婚された。