三四郎
小さな雨が降っていた。外に出ると少し寒い。あわてて少し厚めのシャツに着替えた。今日は中国の大学院生に役立てばと図書館で調べものをすることにした。
夏目漱石著の”三四郎”の文中の女の患者を見たときの女の目から感じた表現「顔も額もはなはだ暗い。”その中に遠い心持のする目がある”」を調べたい。本は書棚には無く2階の書庫から探してもらった。
小説三四郎は私は初めて手にする。紙面はやけて文字は古い使い方で”ありませう ゐます ”という書き方で少し懐かしい。
三四郎が先輩の妹を病院に訪ねたとき、ドアをあけ瞬間に見たときの妹の表情を表したものと分かった。小説は早読みだったが、九州の旧高校を出て東京の大学に入ったばかりの三四郎、まだ世間なれしていない田舎者がだんだん大人になっていくさまを書いたもののように感じた。
ところで肝心の文の説明は、はなはだおぼつかなく、漠然とした目なのだろうかと説明不足に終わった。小説を読まれた方説明して頂けませんか。