済南市に行く

 朝6時半、昨夜泊まった受験者と3人で車を待つ。この受験者は日本語が少し話せるので、昨夜遅くまで話した。日本でお金を稼ぎ良い生活が出来るようになるのが目的だ。子どもがいるが夫と親がみるので大丈夫だという。

 やがて来た車には男3人女2人が乗り込んでいた。男はスーツ、女はまぁまぁの服装だ。日本語は通じない。私は助手席に座らせてもらった。後席は車が小さいのでぎゅうぎゅうだ。乗員オーバーではと思うがかまわず走る。

 高速道路に入りひたすら西へと進む。道は一直線、右も左も畑だ。北側を土壁を回らし南を太い竹を壁に差し掛け、ビニールで覆ったハウスが延々と続く。改めて中国の広さを感じる。地名標識にも知った地名があり、帰国した研修生の顔が浮かぶ。

 3時間休まず走り済南市域に入った。8年ぶりだが相変わらずスモッグで空気は汚れ視界が悪い。変わったのは、自動車が多いことだ。スマートな三輪車、電動車、外国車、多いのはのはワーゲン、すごい渋滞だ。受験者に車酔いがいて降ろし歩かせる。

 面接試験のある山東信国際経済技術合作有限公司に着く。早速理事長の孫さんに挨拶、歓迎の言葉が返ってきた。大学日語科出身の彼は、堪能な日本語で日本の有力者との交流、協力の實を語り、新たな計画の日本語教室の教師の席を予定しているので、お願いします と言われた。

   
    立派な茶盆 こぼれた茶湯は下へ流れ出る
    

 面試室に入る。みな緊張してがちがちだ。他の会社から応募の人を入れて16人の内、選ばれるのは男4人、女2人だ。3年間の勤めを、健康でまちがいを犯さないで通せるかを日本人のベテランスタッフ等3人で審査する。日本の受け入れ会社からは来ないので、責任があるので厳しく2時間もかかった。選抜されたのは雅傑の会社から応募者は女一人、あとは理事長の声がかかったらしい人たちだった。理事長も派遣会社を持っている。私も雅傑からスタッフに頼んでくれと言われていたが、それは出来ないと断っていた。

 選抜がおわり日本担当の呉さんと話す。モンゴル出身の彼女は、日本人スタッフの夫人で大学の日語科教師の教え子だ。私の話しを聞いていても、分らないことはすぐ電子辞書で検索するような確実牲を常に求める娘だ。スタッフの話しによると「頑固な面があるという」。現在は英語も学習中で、将来は日語の教師になり太好きな日本に行きたいといわれた。彼女の許可を得ているので写真を掲載する。

   

 一人だけだったが、決まって良かった。昨夜雅傑宅に泊まった日本語の少し分る劉さん、秘かに合格すると思っていた。落ち付きがあり、他の女性とは異なった協調、順応性の或る人だと思っていた。来年日本に来たら逢えるかもしれない。

       10月28日
     
    (今日雅傑の会社の張さんからMSNでチャットがあった。社長は明日旅行から帰ると)