中国も大変だ

 12月になって殆ど毎日のように中国のドキュメント、或いは映画などの番組があり発音の勉強を兼ね見ている。自然に夜更かしをし今朝も目が覚めたのは9時だった。顔を洗おうと洗面所に立ったとき、鼻の下が温かく洗面器に赤いもの落ちて散った。鼻血だった。何年ぶりの朝の鼻血だろうか。元気な証か、不良の証か。

 1968年の中国、教育より労働を重視しブルジョァ、学生、教育者を積極的に農村に送り労働をさせた。革命の地、延安に送られた学生が違反、反逆と知りながら恋愛、その結果生まれた子ど
もと離れ離れになり、残された子は親を探し、それを助ける当時の仲間のドキュメントがあった。今は街も整っているが当時は純農村の田舎だ。陝西省の黄土高原の西で今もヤオトン(崖をくりぬいて作った家)でくらしている人もいる。

 そのような辺境の地に、就職活動中の中国の学生が大学の教師として内定した。オメデトウと言っていいのかどうか?本人も中国は金融危機で就職難なので仕方がないと言い、きょうだいたちにも望んでいた職業ではないので話していないらしく、あまり喜んではいないようだ。そんなことで昨夜は中国のテレビを見終わっても、なかなか寝付かれず思わぬ寝坊となった。