69年前

 69年前の今日のひる、自分たちはいつもと同じように柳行李(通気性をよくして腐敗を防ぐ)の肉じゃが弁当を食べました。

 ここは伊丹海軍航空隊の飛行場です。阪神地区の防空のためここには月光、彗星など夜間主に迎撃する戦闘機が配備されていました。

 宝塚海軍航空隊の自分らは、昼間来襲するアメリカの艦載機グラマンなどの銃撃から守るため掩蓋を作ったり、来襲を予知したときはそこに隠す作業をしていました。宝塚から弁当持ちで電車で通っていました。毎夜の空襲のたび重要なものを持って防空壕に避難するため寝不足で、電車に乗るとつり革にぶらさがって居眠りする隊員もいて、班長から馬呼ばわれしました。そのくらい心身ともに疲れていました。

 弁当を食べ終わった自分らの元に、12時に天皇陛下玉音放送があり「戦争は終わった」と知らされました。なにがなんだか全く分からない、どうなるのやら、それぞれの不安の思いを胸に電車に揺られて帰隊しました。途中の甲子園球場の緑の蔦が夏空に映えていたのを今でもはっきり覚えています。

 帰隊した夕方どしゃぶりの雨が降りました。戦争に負けた悔しさ、或るいは安堵歓びか涙雨だと感じました。またその日は入隊記念日だとかで、ぜんざいが特別に出ました。

 あとから思ったことですが、1か月前に戦争が終わっていたなら鳴門の海で戦死した同期の桜の無駄死にも無かったでしょう。時には思い出すべく私のブログ名を「sakuraniikariの日記」にした由来です。